僕らはもう着いてる?

2019年11月、『Where to Land』の実現に向けて最初に取り組んでいた際に、ハル・ハートリーはキャストとスタッフからインタビューを受けた。インタビューはハートリーが10年間暮らしたアパートの廊下を挟んだ真向かいにあるポッシブルフィルムズのオフィスで行われた。

―脚本を書くきっかけになった出来事やアイデアはある?

いくつかあるよ。まず2012年から2017年にかけて、僕は小説になりそうだと思っていたものに断続的に取り組んでいた。「Where to Land」と呼んでいたこともあるけれど、たいていは「Our Man」と呼んでいた。書きかけの小説にあったいくつかのアイデアから映画の脚本が生まれたんだ。ぜんぜん違う内容になったけど、どちらも僕自身が遺言書を作ったこと、父親の最期の数年間を介護した実体験、そして僕自身が人生の後半で職業を変えてみたいという願望や好奇心を抱いたことが着想のもとになっているんだ。

―君の映画を初めて観る人や昔からのファンに楽しんでほしいことはある?

僕に何ができるのか、お手並み拝見だね。きっといくつもの会話が同じ場所で積み重なっていく可笑しさは感じられると思うよ。慎重に構築された言葉のカオスだね。過去にもやっていたことだけど、また異なるアプローチなんだ。歳を重ねるごとに、人物をどう動かし、どんな言葉を言わせ、どうやって撮影するかについてより自信を持てるようになった。それがまた新たな挑戦につながることも多い。僕は、人生で起きる日常的な出来事から物語を紡ぎ出すことが好きだ。だから遺言書にまつわるあれやこれやも、すぐにひとつのプロジェクトに発展した。それと同時進行していたのが父親の介護で、死がまさに手を伸ばしているけれど、脅威ではない、そんな感じで、親や兄弟姉妹、叔母や叔父と交わした最もシンプルで現実的でありふれた話題が、究極的な関心事だからこそとても深いものになっていった。しかも、すごく可笑しかったりもするんだよ。

―世界と君自身にとって、今がこの映画を送り出すいいタイミングだと感じる?

僕にとっては、そうだね。まさに避けられないことだった。自伝ではないけれど、とても個人的な作品なんだ。僕が現時点で興味を持っているものが詰まっている。当然ながら個人的な事象は一般的な事象と重なり合うことも多いし、不協和音的な面白さもあるよ。

―この映画は世の中に受け入れられるかな?

世界がこの映画に気づいてくれるなら、世の中に害を為す作品ではないと思うよ。でもそうだね、受け入れてもらえるんじゃないかな。もし誰ひとり反応してくれそうにないと思ったら、作品にするのは難しかっただろうね。

―これが君の最後の映画になる?

そうかも知れない。もしそうなったとしても悪いことじゃないよ。僕は長年、執筆に身を捧げたいという衝動を抱えてきた。でも映画作りは得意だから、もしいい企画で、ちゃんと報酬がもらえるならまたやってみるかもしれない――まだエネルギーが尽きていなければね。僕が長生きを望んでいることにも関連していて、創作で忙しくしていないと、僕は本当につまらない人間なんだ。

―映画制作について語るなら、ビジネス面、つまり資金調達や制作費の話題は避けられないよね。

映画製作のとても現実的な側面だね。

―時代とともに移り変わるトレンドや周囲の期待とどうやって折り合いをつけていた? 90年代に“インディーズ”とされていたものはすっかり様変わりしたように思えるけど、アートを作り続ける上でどんな影響があった?

僕は10代の頃から、ある種の気質を持っていたと思う。音楽でも絵画でも、途中からは映画を作り始めたわけだけど、必要なものが不足していてもストレスに感じないんだ。僕は手に届く範囲で何かを作ることを楽しんでいた。プロとして映画を作り始めてからもその姿勢はあまり変わらない。新しいことを学び、もっと潤沢にリソースを使えるようになってもね。DIY。自分でやる。もしくは友だちと一緒にやれ!だよ。だって、いつだって誰かの助けは必要だから。とにかく僕は自分の作品と目的に集中して、業界が押し付けるラベリングに振り回されないように心がけてきた。

僕が今でも映画の制作と配給をできるだけコントロールしようとしているのは、僕にとっては単なる仕事じゃないから。映画は僕の作品であり人生であり、自分がこの世界に対して貢献できる最たるものだから、余計な妥協はしたくないんだ。もちろん妥協は避けられないから、どこでどんな妥協をするのかは自分で決めたいんだ。とはいえ難解な作品を作ろうとしているわけじゃない、一部の人はそう思うみたいだけど、それについてはもうどうしようもないね。

ただ僕は子どもの頃からずっと、自己満足的な専門用語や、複雑な現実をキャッチーなフレーズに落とし込もうとするやり方にずっと反発してきた。だから、常に自分が正しいとは限らないけれど、つい反射的に反応してしまうんだ。市場の傾向分析とか既成概念とかイデオロギーに対してはね。とはいえビジネスやテクノロジーに関しては聞く耳を持っているつもりだ。

誰も見てくれないものを作りたい人はいない。経済と美学は映画作りに欠かせない要素で、脚本の執筆から編集、配給やマーケティング、プロモーションの担当者との付き合いに至るまで、すべてのプロセスに関わってくる。僕には寡黙で扱いにくく、自分勝手で世間知らずのうぬぼれ屋で、傲慢ですらあるという評判があった。自分がそうだったとは思わないけどね。でも僕は自分の直感を信じてきた。それでよかったし、そのおかげで今も僕なりにビジネスを続けられていると思っている。つまるところ、ビジネスの目的は自分の作品に関心を持ってもらうことであって、すべては同じひとつのことの一部なんだ。

―ビジネス面によって映画作りのアプローチが変わったことはある?

それはないと思う。少なくとも脚本を書いたり、撮影して編集したりする限りではね。資金さえ調達できれば、僕はずっと同じやり方で映画を作っている。資金の集め方はそれぞれだけどね。新しいテクノロジーに可能性を見出して、シーンの作り方が劇的に変わることはある。例えば2011年に、セットの装飾を排することでかなりの低予算でできる作品として『はなしかわって』を構想した。撮影機材はすごく小さく軽くなり、前より照明も少なくて済むし、ライトも以前のように発熱しなくなった。そのおかげで映画美術に対する考え方が変わったんだ。「そのままで完璧なロケ地」を見つければいい。現場は余計なプレッシャーから解放されたし、思いがけないクリエイティブな可能性が開けたことにも驚かされた。同様のことは『ネッド・ライフル』でも随分やったよ。

―確かにセットを組んだり作り変えたりはしなかったよね。

そうそう。すでに存在している空間に強い美意識や確固たる構成を当てはめていくのは面白かった。眼の前にあるものを、ひとつのデザインセンスで統一していく感じだね。

―その方法論は『Where to Land』の脚本にも活かされているよね。

確かに今回の作品ではより顕著だと思う。この脚本は、僕のアパートや日々歩いている近所を想定して書いた。だから実際に歩き回って、アクションをどう見せるかを考える時間がたっぷりあった。君が数ヶ月前に脚本を読んだとき、狭いアパートに大勢が集まるシーンを心配していたよね。思わず笑っちゃったよ。

―「どうやってみんなを詰め込む気だ!」ってね。

それもわかるよ。でも1991年に撮った短編『セオリー・オブ・アチーヴメント』に立ち返ればいいんだよ。あのときは友だちのスティーヴンが住んでいたウィリアムズバーグのもっと狭いアパートで撮影していた。大人数だっただけでなく撮影機材もデカくて重かった。でもそれが逆に面白くて、すごく小さなスペースに人を押し込んだり、首と手だけを動かして会話させたりして、コミカルな密集した絵をたくさん作った。そうやって解決策を見つけるのが楽しかったよね。

―つまり場所とか環境は脚本に影響している?

この作品に関してはイエス。でも基本的にはノーだね。『Where to Land』だってどんなアパートでも成立するお話だよ。でも具体的なロケーションがあったから、会話のリズムやトーン、アクションによってどんな効果が得られるかが把握できた。特に舞台設定の役に立った。これは何度も言ってることだけど、僕の映画はセリフが土台にあって、役者の演技が引っ張っていく。演者と僕がセリフをちゃんと理解していれば、環境を活かせる場所なら舞台はどこでも成立するんだ。リスキーなこともある、楽しんでやっているよ。

―君の映画の観客層について明確なイメージはある?

頭の中にはあるよ。好奇心や興味を持っている人たちだと思ってる。ただ昔はそれを役立てることができてなかった。マーケティングの専門家の意見も役に立たなかったし。今みたいに自分で作品を発信するようになって、やっとどんな人たちが観てくれているのかわかるようになった。だからといって脚本の書き方を変えるわけじゃないけどね。

―でも観客がいるとわかっていれば心強いよね。

もちろん。映画の規模はそれぞれだし、実際に観客が見えてるわけではないけれど、そこに観客がいると信じることは大切だね。ただ、既存のマーケットに向けた商品を作ってるわけじゃないから、常に僕が次に何をするつもりなのか、どう変化して成長していくのかに興味を抱いてくれる人たちを想像をしてる。だからこそ彼らは“観客”であって、“顧客”ではないんだ。

―近年、君は過去作をアーカイブにしてライブラリーとして発表してきたけど、創作の役に立っている?

最近はすっかりデザイン事務所みたいになってるよ。まず扱っている映画があり、写真や文章や音楽とまとめて統一感のある形にしないといけない。やりがいのある仕事だよ。楽しみにしてくれている人たちもいるしね。作品や素材が手元にあってラッキーだった。でもアーカイブやライブラリーももうすぐ一区切りだから、そろそろほかのものを作らないといけないね。過去の作品全体をひとまとめにして、少しずつ慎重に見直していくのはクリエイティブで興味深い作業だったよ。

―自分のアーカイブの管理が上手いアーティストは珍しいよね。

僕の中には“内なる司書”がいるんだ。何か作ったら、それがどこにあるのか把握していたいし、ちゃんと保存して、自分用のコピーを作って、精査して、可能であれば改良もしたい。それに、新しいものを作るときにかつての仕事を振り返るのは役に立つ。問題が生じたら、脚本や演出や編集したものの中に、同じような問題や解決のヒントが見つかったりするからね。

―初期作品を振り返ってみて、創作のプロセスに変化はあったと思う? 今だったら違う選択をしていたと思うことは?


そうだね。変化していることもあれば変わらないものもある。セリフの文法や役者の動かし方は、進化はしているけれど、ずっと首尾一貫はしていると思う。少なくとも、それこそが僕が映画を作りたいと思う理由なんだと自覚するようになってからはね。

―クラウドファンディングのときに「“驚くべき真実”は、人は変化し続けるということだ。二十歳のときに自分に投げかけた疑問を今も考えている。どんな自分になりたい? 何を成し遂げたい?それが可能ならいつ?どこにたどり着きたい?」って書いていたね。この脚本によって目的地に近づけたり、目指しているものが見えてきたと感じる? 君以外の人々にとっても助けになる作品だと思う?

この脚本は、20年以上自分の中で渦巻いてきた感情や考えを伝えるもので、おそらくこれまでで最も妥協せず、丁寧に書いたものだと思う。書き上げるまでに長い時間をかけたし、急いで撮影しようと焦ったりもしなかった。だからこそ何かしら意味があるはずだし、自分のために形にしようとしてきたんだ。さっきも話したけど、最初は小説にするつもりだった。人生において映画監督が天職だったけど、小説家へと移行しようとする努力の一環だったんだ。うまくいくかどうかはともかく、これからの人生は、主に執筆活動に時間を割いていくと思う。だから、そうだね、この作品全体が、少なくとも自分が進むべき方向性は示してくれた。このタイトルが皮肉なのは、実際にはたどり着く場所なんてないってことだね。僕らはいつも海を漂っている。常に何かを成し遂げ、決着を付けたいという衝動を抱えながらね。


「OUR MAN」(抜粋)

彼はブルックリンに住む魅力的な有名女優に向けて、3週間も書き続けているメッセージを読み返し、昨日までは洗練されて慎み深いと思えていたものが、今日は気取っていて堅苦しすぎると感じる。そこで最初から書き直し、ズバリ本題に入ることにする。「あなたの新作映画を観ました。素晴らしかったです。これまでに増して、あなたに送った脚本を気に入ってもらいたいと切望しています。ご連絡をお待ちしています。敬具……」。

これでよかろうと送信ボタンを押す。2時にはエージェントのエドワードと会うことになっていて、いつも「もっと成功して影響力を持とうとする努力を怠っている」と文句を言われているから、コーヒーミーティングでは少しは胸が張れるはずだ。彼はシャツを着替え、地下鉄に向かいながら、洒落たデザイナーズUSBドライブを生産して穏やかに引退するという束の間の野望をもてあそぶ。途中、よく彼が読書をしている300年前から続く墓地を通りかかる。立ち止まって、ふと自分より少し年配の男に目を留める。男は管理人で、自信に満ち、知識豊富で、かつ謙虚な様子で折れたり落ちたりした枝を束ねており、麻ひもやハサミ、手押し車に投げ込むもろい小枝、手押し車そのもの、熊手や使い込まれた作業用手袋といった日常扱っているものたちと一体になっている。管理人は、手入れが必要な場所を移動しながら、近くの木をまるで兄弟みたいに撫でる。


“われわれの主人公”は、自分が泣いているのに気づいてハンカチに手を伸ばす。その日のまだ早いうちに駅の書店に寄ったが、「墓地の管理人になるには」みたいなハウツー本は置いていなかった。しかし今この瞬間、彼が何よりも求めているのは、何かの世話をして、整え、守り、天候に左右されながら、誠実な労働で手にたこを作り、一日の終わりには世界の一端がきちんと管理されている様を眺め、悪化した状況にウンザリするのではなく、正当な疲労感を味わうことだった。彼は若い頃に読んだ本に、イスラムという言葉が“身を委ねること”を意味していると書いてあったことを思い出す。その対象は自然で、手をかけ、守り、育成する責任が伴うのだと。ゴミだらけで尿で湿った地下鉄へと降りていくと、彼は自分がちっぽけに感じる。自分の人生で何をした? あのブルックリンの才能ある美しい女優は本当に必要? エンタメ業界の末席を奪い合うこの狂った競争を続ける意味はあるのか? 親指大のセクシーなUSBドライブに、いつまで興味を持っていられる?

ハル・ハートリー、2013年頃